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1998
1998.11.5 ようやく

ようやく落ち着きました。
いろいろとありましたが、それは後々書いていきます。かなり自分の周囲に対して批判する事になるかもしれませんが。

会社からマシンを数台購入しました。やっとそれなりには動き出しましたが、まだ不安定な部分や使いにくい部分がたくさんありますので、その辺りはおいおい整えていこうかと思っています。

残務処理で腰を壊してしまいました。やっと少しだけ楽になってきましたが、まだ完治には至りません。つ、辛い。

お手伝いさせてもらっていた村上龍氏の海外向けホームページが閉鎖されました。村上龍氏自らが文章の翻訳及び写真利用承諾を取り消しされたために続行不可能になりました。我々のリーダーに至らぬところがあった結果です。その件についてはそのうちに書きます。

近々、ドメイン取ります。インターネットを使ってやりたい事が前からあって、時間的にも余裕が出てきそうですので始めます。お手伝いしてくれる人も探しています。

仕事の方もどうやら決まりそうです。今は最終的な詰めの作業を行っています。
いろんな方に心配して頂いて、いろんな方から声をかけて頂きました。いろいろとお手伝いして下さった方、気にかけて下さって、あちこちの会社を紹介して下さった方、本当にありがとうございました。感謝しています。
特に某通信系(確か来月、海外線の大手と合併・・)会社・長崎営業所のA係長様、某銀行系ソフトハウスのH様、あちこちの会社をご紹介頂き、いろいろとご相談に乗って下さいましてありがとうございました。
そして、面接を受けさせてもらっているにも関わらず、独立まで視野に入れたいろんなアドバイスを下さいましたアクトフォーの前田社長様、ありがとうございました。


1998.10.11 会社解散に寄せて

もうええやろ、発表しても・・・

会社が潰れる。今月末にはなくなる。

潰れた理由ははっきり言って、よく分からない。唯一言える事は、社長は社長の器ではなかったという事だろう。銀行からの借入れが4000万〜5000万、それが全て自分にかかってくる事を考えると恐くなったのだろう。
実際は会社なんて銀行などからは7000万、8000万の借入れは当たり前ではないのか?特にうちは資本金もそれなりにある(4000万弱)ので、もっと借り入れがあって当たり前だろう。
銀行の「貸し渋り」かも知れない。そりゃあ、もうすぐ「終わりそう」な業界向け商品をメインの商品にしているのだから、銀行も貸したくないわな・・・しかもその後の商品が全くないのだから、それで「金貸せ」っていっても無茶だよな。

はっきり言って、この会社の内情がどうなっているのかは全く分からない。売上が実際のところ、どれくらいあって、会社運営にはいくらの売り上げが最低限必要で・・・という事は全く分からない。又、潰れる前に「まずい状況なのでこういう部分を削って・・・」という事前説明もなく、いきなり「解散かリストラか」という話だった。馬鹿にしてる。
「ふざけんな」と言いたいが、言ったところでどうなるもんでもない事は分かっているので言わなかった。ある意味、社長にはいい加減みんな呆れていたので、いい機会だと思った人が大多数だった。それくらい人望がなかったんですよ、あなたは。人に「人望ある人になりなさい」なんて説いてる場合じゃなかったんです。
社長がここ1年、人が止めるのを聞かずに独断で始めた仕事で成功したものはありましたか? まさかそれの責任まで社員に、会社に押しつけるような、こういう形を選ぶとは思いませんでした。あの無謀なダイレクトメール、画像データベースの企画、ネットワーク構築の話、某出版社への営業の話、うまく捕まえれば、今頃はもっとマシな状況になっていたはず。

負債の正確な額も明らかにせずに、リストラの正確な理由も明らかにせずに、なぜ従業員を1/3にしないといけないかをきちんとした資料の下に明らかにせずに、今まで通りの独善的な方法で解決しようとしている社長に対して、社員は最後に「NO」と言った。全員が「残らない」という回答を叩きつけた。そりゃそうだ。これじゃあ「残る」とは言えないよ。おまけにその後の案件があれじゃあどうしようもない。

社員は社員で「逃げなかっただけでもいいよ」と言うが、よく考えて見るとそんな事言えない。それ以前に何らかの動きがあったわけではなく、ある社員が情報を漏らしたから、気持ちの整理が付いていただけである。いきなりその話を聞いたら、きっとみんな冷静じゃなかったはずである(僕も含む)。本来は段階を経てこういう話になるはずであるが、この緊急な状況は全くもって無茶苦茶である。社長が社長としての仕事を全うしていなかった証拠であろう。

なお、解散の話は別のホームページでもっと詳しく書いています。でも、多分どこだか分かんないだろうな〜。

現実問題として、仕事は全くない。特にプログラマという仕事はほとんど見当たらない。こんなに仕事がないとは思わなかった。

最後に前向きな話?!
これを読んでいる方でどこかにプログラムを発注したいと考えている方、メール下さい。又、「仕事あるよ」という会社の方、チームで雇って下さい。いいプログラマ揃っています。お願いします。

1998.11.7
「馬鹿野郎!!」と言いたくなる話を聞いた。ライバル会社との合併の話があったとの事。しかも持ちかけたのはこっち側だとか。しかも1年くらい前からの話だったらしい。おいおい、1年前ってベガス行く前後かよ・・・という事は・・・ベガスは手切れ金代わりかい?!


1998.8.17 最近・・・

最近、元気がない。
正確に言うと、正直に言うと、6月辺りから全然元気がない。

理由はいろいろとある。愛する人と思ったように逢えない。仕事で充実感が得られない。心底、満足いくデザインが出来ない。集中力が落ちた。自分の時間が思ったように取れない。自分が分からない。etc etc

面白い音楽、惹かれる音楽がない。暑い。身体がだるい。面白くない、面白くない、面白くない。
こういう時はビジネスホテルに一人で泊まるのがいい。福岡辺りに行って、一人だけで2日くらい過ごすと気分的に楽になる。

先週1週間休みだった。でも自分一人の時間は結局いつもと同じくらいしか取れなかった。ホームページのデザインも変えるつもりだったが、いいアイデアが全く浮かばなかった。

昨日、花火を見に行った。何年ぶりだろうか、あんなに近いところで花火を見たのは。

みんな、僕の事を分かってない。僕はみんなが思ってる程強くはない。みんなが思っている程やさしくはない。みんなが思っている程・・・・

風邪を引いているのかもしれない。意識が朦朧としている。大丈夫、俺は死なないよ、と言うものの、本当のところは分からない。「ごめん、元気で」という一言だけが残っているかもしれない。なんて言う奴に限って死なないんだけどね。

もう一度、鹿児島で見た花火を見たくなった。真上で開く花火を。もしかすると僕は鹿児島に帰りたいのかも知れない。鹿児島の夏は好きだ。すっきりしていて、冷房なんていらなかった。ここの夏は嫌いだ。蒸し暑い。ベットリしている。

この時期に躁鬱なんて初めてだ。夏に出る躁鬱は辛い。躁状態が大きいので鬱も大きい。やっぱりいろいろと我慢していたみたいだ。でももうしばらく我慢しないといけない。

愛する人へ、鹿児島で見た花火をお前と一緒に見たいな。


1998.7.11 「hideさんの死が教えてくれたもの」??

「Yahoo! Japan Internet Guide」7月号、P46〜47。
葬儀に参列した若者たちが、きちんと整列し、報道陣の食い散らかしたゴミまで片づけていた。これはhideが生前、常々言っていた「人として生きる事」の実践である。
これを取りあげて、このページでは
「ゴミを拾え、しっかり生きろ、自分を大切になんてことは、どこの親でも、どこの学校でも教えていることだ。というより、常識である。」
と書いている。おいおい・・・である。
まず、親は教えていない事が多い。今の大人はそういう事は一切教えない。それどころか自らゴミを散らかしている。高速のインターチェンジでもらう領収書、そのまま窓から捨てる。煙草の吸い殻、歩きながら吸っていたらそのままポイ。自ら「ゴミを散らかす」事を教えているじゃないか。
おまけに「報道陣が食い散らかしたゴミ」と常識を破っている大人(=報道陣)をさておいて、
「その常識が、hideさんが教えない限り身につかないとは、心に隙間がありはしないか?」
な〜んて、分かったような事書いてんじゃねぇ。その常識を実践してない「報道陣」はどうなる? 親や学校が教えたはずの常識が身についていない「報道陣」と呼ばれるちょっと偉そうな人たちよりも、ロックミュージシャンに教えられた常識が身に付いてる若者の方が立派でしょう? ああ、腹立つ。

「しっかり生きろ」なんて今の大人がどうやって教えてると言うのか?少なくともその辺のオヤジどもは教えてくれない。援助交際を平気でやるオヤジどもが一体どうやって「しっかり生きろ」なんて教えてると言うのか、きっちり説明して欲しい。

その「心の隙間」を作らせたのはあんたたち、大人なんだ。その事を理解せずにこんなところにこんな文章書きやがって、本当に頭にくる。

なぜ、hideが言う事を彼ら、彼女らが守っているか、それはhideがそれだけの事をやっているから、少なくともファンの前では実践して見せているから。今の大人は自分ですべき事をせずに、子供にだけ「しろ!」と言う。「アホ!そろそろ気付けよ!!」と言いたい。

更には今まで書いた事を
「しかし、そう思うのはまさにオヤジ。その隙間こそが若者の特権なのかもしれないし」
などと書いている時点でいかに下らんライターか分かる。この時点で「責任転嫁」している。てめえの書いた事を「オヤジ」の一言で片づけてるんじゃねぇ。そう括るんなら書くなよ、くだらん。
こんな文章を書いた松岡某というライター(?)にも呆れるが、掲載したソフトバンクにも嫌気がさす。

hideのファンは立派だよ、みんな、偉いよ。みんな、hideの分まで頑張って生きていこう。下らんマスコミやライターの書く事なんか無視して、自分の価値観を信じて生きていこう。
心の隙間?大いに結構!お前ら大人は若者の「心の隙間」に復讐されるんだ。
下らん大人が教える事なんか信じるな!立派な大人だけを見極めるんだ。


1998.6.15 ゲーム業界

遂にやってしまった。ゲームソフト大手5社が中古業者を提訴。
これはやってはいけない事ではないでしょうか?パソコンゲーム業界と同じ事を繰り返すんですね。

パソコンゲーム業界。今や全然パワーがないこの業界も昔は凄く活気に満ちあふれていた。そのパワーを奪い取ったのは何を隠そう「中古ソフト屋の取り締まり」であった。
メーカーの言い分は「中古ソフト屋があると、新品が売れない。だから取り締まれ」だろうと思う。が、実際のユーザーの考えは違う。
中古屋が存在すれば、多少面白くなさそうなソフトでも、売ればいいと考えて購入するのである。つまり、中古屋がなくなれば、面白くなかった場合に売る場所がなくなるので、無理してソフトを買わなくなってしまう。

又、メーカーは「新品を出しても、中古が出るまで買わないユーザーがいるから中古屋のせいで売上が上がらない」と言うだろう。これも間違いである。
中古が流れるまで待つユーザーは、中古屋がなくなったら、絶対にそのソフトを新品で買うような真似はしない。「中古でいいか〜」と思うようなソフトをどうして新品で買うだろうか。新品で買う程じゃないから中古が出るまで待つんだよ。

今回の提訴を決めた会社の連中は絶対自分の金でゲーム買わない連中ばっかりなんだろう。ユーザー心理を全然わかってない。

パソコンゲーム業界は同じような理由+コピーという問題から中古ソフト屋を取り締まった。結果、今では国内のパソコンゲームソフト開発会社は全く元気がない。元気があるのはエロ系、同人系だけである。
同じ事をゲームマシンでやろうとしている。業績悪化を中古屋に押しつけるという、昔のパソコンゲーム会社と全く同じような事をやっている。これで自分の首を絞めて、又一つ、業界を潰してしまうのだろう。
あれだけ売れて、なぜ業績が悪いのか?それはコスト管理が徹底してずさんであるからだ。それと、アイデアのなさを派手さで補おうとしているので、人件費ばっかりかさんでどうにもならなくなっている。もっとシンプルで面白いゲームを作って見たらどうでしょうかね。もうそんな力もないでしょうけど。
こんな事をやってしまっては、もうゲーム業界も終わりですね。あ〜あ、もう終わりか。うちの弟にも転職薦めなきゃ。


1998.6.7 ブルーやねん

とうとう梅雨入りしてしまいました。
この時期、僕は本当に機嫌が悪いです。5月病なんかにはならないんですが、この時期、最低なんです。めっちゃブルーやねんって。
特に今年は5月にいろいろとありまして、それが今頃になって「ドドーッ」と襲いかかっています。いや〜、辛い。その5月の件は誰も知らない裏ページで・・・・
こういう時には僕、いつも本をたくさん買い込んで読みまくります。だいたい1ヶ月で20〜30程買い込みます。
今年はちょっと「アロマテラピー」なんぞやってまして、これで何とかこの辛い梅雨を乗り切ろうかと思っております。結構いいですよ、アロマ。
このホームページもリニューアルすると言っておきながら、準備がそれほど進んでいません。ごめんなさい。これだけの文書量になると、結構大変ですね。反省してます。
まあ、時々更新していきますし、どっかで「ガラッ」とデザインが変ってるかも知れません。その時を夢見て、頑張ります、ハイ。


1998.5.24 ありがとうございます

アクセスカウンタを付けて、もうすぐ1ヶ月。あっという間に300カウントを越えていました。このまま行くと、1ヶ月で400を越えそうです。ありがとうございます。
こんなわがままなホームページを読んでくれる人がこれ程多いとは思っていませんでした。正直、1日3カウントくらいで、1ヶ月で90カウントくらいだろうと思っていました。いやいや、びっくりしています。
近々、ホームページを大幅に作り替えようと思っています。今度は「利用しやすい」形にしようと思っています。又、今までよりは画像が増えると思いますので、スピードは若干落ちると思います。出来れば凝った方と凝ってない方と2つ作ろうと思っています。
更新ペースはなんとか上げていこうと思っています。以前も書きましたが、目標は「何度も見にくるホームページ」。宜しくお願いします。

1998.5.31 追加
今日は5月最後の日。P.M.9:08現在、532カウントです。400どころか500の大台を越えてしまいました。本当にありがとうございます。いや、マジで嬉しいです。


1998.5.24 水谷豊という俳優さん

今日、たった今、「料理バンザイ」という番組に水谷豊さんが出演されていた。僕にとって水谷豊という人は、「役者」「俳優」という職業を僕に理解させてくれた最初の人である。
その昔、「熱中時代」という今で言う学園ものがあった。が、今のようなぐしゃぐしゃな学園ものではなく、爽やかな、本当に爽やかな学園ものだった。
その中で「北野広大先生」を演じていたのが水谷豊さんである。僕にとっては「金八先生」よりも「北野先生」なのである。
そこで北野先生、つまり水谷豊が見せた「先生像」が僕にとっての「理想の先生像」だった。生徒に真っ直ぐにぶつかっていく、先生たちにも真っ直ぐにぶつかっていく、何事にも真っ直ぐにぶつかっていく、そういう先生だった。

僕の先生は 嵐を巻き起こす
どんな時だって 口笛を吹いて くじけない男

それが北野先生。
そして、小学校の時に福岡県大牟田市で2年間、担任だった吉川先生。この先生が僕の中では「北野先生」だった。お元気でしょうか?

それから僕の中で「水谷豊」という人は特殊なポジションにいる。ほとんどドラマを見ない僕が、「水谷豊」という名前を見ると、嫌いなサスペンスものでさえ見てしまう。それは僕の中で「水谷豊」という人が非常に特殊な位置にいるからである。
今日、「料理バンザイ」に出演しているのを最初に見た時にはがっかりした。「まさか料理番組なんかに出るとは・・・」と思った。が、番組を見るうちに「やっぱりかっこいい人だ」と思った。決して、顔を売るために出たのではなく、ただ船越栄一郎さんと一緒だから出たという感じ。何かで「僕は口下手だから、アドリブが苦手なんです」と言っていた。いきなり話を振られて「いきなり振りましたね」と焦っている水谷豊を見て、その変わってない姿をかっこいいと思えるのが不思議だった。
いつまでもカッコよくいて下さい。


1998.4.19 子供の人権

ちょっと気になったことがあるので。
以前のこのページで、子供の人権について暴言を吐いてしまった。あれは極論というか、説明不足です。申し訳ありません。ここについては前の文章を残した状態で訂正文を入れてあります。

改めて、もう少しきちんと説明しようかと思う。
子供に人権がないという事ではなく、子供が自ら「人権」を主張している世の中がおかしいという事を言いたかったのです。

それは情報の氾濫が原因であると思う。
テレビで評論家と呼ばれる「どう見ても自分の親よりも頭よさそうな」人たちが「子供の人権がどうこう、プライバシーがどうこう」なんて「自分たちの味方」的発言をする。
それを見た子供は都合のいいように「プライバシー」なんて言葉を使い出す。その言葉がどれだけの意味を持つかなんて知らず、その言葉を獲得するために本来必要な努力もせずにその言葉の「力」だけを獲得する。
その結果がこの一連の「ナイフ事件」や「自殺」である。
楽して手に入れた、いわゆる「大人から与えられた」ような形の「プライバシー」や「人権」というものが、「与えた本人である大人」に対して機能しなくなった時に、その出来事に理不尽なものを感じて、そういう理不尽なものから自分自身を守るために「ナイフ」を手に入れ、必要とあらば「ナイフを使う」。

そしてマスコミは口々に言う。「子供の言葉にもっと耳を傾けて」「子供の事を理解してあげよう」。そういう姿勢が子供を苛立たせている。今の子供の事を大人が理解するのは無理である。別に理解しなくてもいい、理解なんか出来ないんだ、という前提の下に子供と話をする事、それが大切だと思う。

大人の身勝手で子供に与え、取り上げていく。そういうのはもうやめましょうよ。子供だって馬鹿じゃない。ただ「未熟」なだけだ。馬鹿なのは「有識者」と呼ばれているあなたたちや「マスコミ」という武器を相手かまわず振り回しているあなた、そして、そういう「有識者」や「マスコミ」の言葉にむやみやたらと頷いているあなたです。


1998.4.19 資格

最近は資格ブームであるらしい。私が属する「コンピュータ業界」は特にそうである。
システムアドミニストレータ、通称「シスアド」。この資格がブームらしい。なぜなら、比較的簡単に取れるから。
一応、これでもいくつか資格は持っている。通産省の情報処理第2種も持っている。でも、こんなの何の役にも立たない。学生時代だから取れたのであって、例えば今この試験を受けて合格出来るかと言われると無理である。

資格を持っていれば必ずしも実力があるかというとそうではない。本当に仕事をしている人は資格なんか取りに行く暇がない。会社命令であるとか、仕事でどうしても必要であるなら別である。建築関係であるとか、その資格がないと仕事の次のステップがないとか、そういうのはガンガン取りに行くべきであると思う。が、コンピュータについてはそんなのは全然ない。よく入社の条件で「シスアドの資格を持っている事」というのを見るが、僕に言わせればこんなのはチャンチャラおかしい。雇用する側が何を以って判断していいか分からないので、とりあえずシスアドと考えているのがミエミエである。企業の求人担当はもっと勉強すべきである。自分でシスアドの勉強をしてみて、実際に自分たちの業務に必要かどうかくらいの判断は欲しい。

そして資格を取りに行く側。
資格を持っていれば実力があるわけではない。情報処理の2種なんて呆れてモノが言えないくらいどうしようもなく実業務には役に立たない。大体あんなヒネたプログラムの組み方しないって。あんなプログラム組む奴がいたら1から勉強し直して来いって言われるよ。

資格を取るには資格を取るための勉強を実業務に生かす必要がある。「資格を取るための勉強」ではなく「実業務で役立つ勉強の延長上に資格がある」というのがベターである。が、世の中そんなに甘くはない。資格とはあくまで「最初のステップ」である。資格がゴールではない。特にコンピュータ系の資格は直接実力には結びつかない。その後の更なる勉強が実力へ繋がる事を忘れてはせっかくの資格にクモの巣が張ってしまう事を忘れないで下さい。


1998.3.27 ちょっとさぁ・・・

今日、このホームページを見たという事でメールを頂きました。
メールの内容もちょっと??でしたが、それ以前の部分でかなりムッと来ました。「まだいるんだ、こういう人」という感じです。
「同居人」のメールアドレスを使ってメールしてくる、そのずうずうしさには呆れるものがあります。正直に「同居人のアドレス」って書きゃあいいってもんじゃないでしょう。
そして、メールアドレスが違うだけではなく、自分の名前すらも名乗らないで言いたい事言って「もうくることはありません」なんて書くところはちょっと礼儀知らずもいいところです。

以前は、こういうのは多かったんですよ。一言だけ「勝手な事書いてるんじゃねえ」とだけ書いたメールとかね。まあ、そういうのは意外とその通りだったりするんで、「ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通りです。」とだけ書いて返送したりしてました。まあ、来たメールの細かい内容については次でやってますんで。

2度と来なけりゃ来ないでいいし、意見を述べるなら述べるでいいんですけど、筋は通した方がいいんじゃないでしょうか?そうしないと痛い目見ると思うんですけど。


1998.3.27 ファン・2  (1998.4.19 付加)

上の続きです。
自称「シンガー&ライター」とおっしゃる女性の方からメール頂きました。

「B'z」に関するところで「Friends II」をけなしているのが気に入らなかったようで、B'zに会った事から、稲葉さんに握手してもらった事などを織り交ぜて書いてきて下さいました。

第一印象は、上で書いたとおり「礼儀を知らない人だ」という事です。
自分の正体を明かさないばかりか、あまりCDの評価には関係ないであろう、自分がB'zと会って、稲葉さんと握手をした、その印象でCDを評価しているという点も礼儀知らず(アーチストに対してね)という印象を受けた一つです。まあ、本人はそんな気持ちはないのかも知れませんが、あの文を読むとそう取られても仕方がないでしょう。

そして、このメールを読んでいると「ファンはアーチストの全てを受け入れるべきだ」と言っているようでした。「稲葉さんは私に優しく握手してくれたんだから、そういう優しい人なんだからFriends IIみたいな優しいアルバムも受け入れなさい」「B'zの2人は普段はとても謙虚なのよ。だからああいうアルバムも受け入れるのよ。それがファンでしょう?」そういう言葉が押し迫ってくる。まあ、所詮ファンなんて自己満足だからどうでもいいんだが、それを人に押しつけるのはよして欲しい。それにファンであるからこそ、批評して欲しいのではないでしょうか?日本人は批評眼が発達してないと常々思っていたのですが、本当のファンならアーチストを正当に批評していくべきだと思います。「ライター」を名乗っているのなら、なおさらね。

この人は結局何を言いたいのか、それが最後の言葉に表れている。
「私はミュージシャンとして、彼らの精一杯の音楽を見つめていくつもりです」
結局、自分がミュージシャンという事を言いたいだけなのだろう。自分で「まだ食べていくまでにはなってない」と言っておきながら「ミュージシャン」なんて、ちょっと違うんじゃないかしら?こういう場合、良心的なファンなら「1ファンとして」と書くのじゃないかな?
それに、別にミュージシャンとして見つめなくてもいいでしょう?ミュージシャンとしてB'zのようなビッグバンドを見つめられる程大物なんでしょうか、あなたは?

何だかどうでもよくなってきたんですが、こういう人が「ファン」を名乗っている状況では、日本ではアーチストは育ちません。その点はイギリスとあまり変わらないでしょう。イギリスのアーチストが育つにはアメリカに出ればいいのですが、日本人は日本語ですからね、それすらもままなりませんね。


1998.3.22 自分らしさ・私らしさ

最近、よく目にする言葉「自分らしさ」「私らしさ」。
さて、「自分らしくしよう」とか「自分らしい髪型」とか言うけど、一体「自分らしい」ってどういう事なんだろうね?

あなた自身の行動が全て「自分らしい」のであって、あなたがする髪型が全て「自分らしい」のであって、どれをとっても自分らしいんだと思うけどね。
雑誌なんかに書いてある「自分らしく生きよう」なんて真似したって、全然自分らしくないと思うよ。まあ、それを真似するあなたが「あなたらしい」とも言えるんだけどね。
世の中の人全てが「自分らしさ」を持っていて、それは何をどうしても「自分」なんだから。つまりは人の真似をしても、それは自分が真似してるわけだから「自分らしい」し、髪型を変えて、人の真似みたいになっても「自分らしい」。
「自分らしくしたい」なんて考えてる人が「自分らしく」なるために取る行動なんてほとんどが「人の真似」なんだからさ、結局は「自分らしくない」んだよ。だけど、そういう行動を取る事が「あなたらしい」んだ。

もっとさ、雑誌なんかに左右されずにさ、自分の情報で行動しようよ。自分でしてみた事、自分が見た事、自分が感じた事、そういうものに素直に生きてみようよ。っつっても、雑誌を見て感じたことってのもあるわけだからね。難しいね、「自分らしい」って。


1998.3.7 Hなホームページと私

相変わらず、Hなホームページは多いです。私はほとんど見ません。その理由は、ただ単純に面白くないから。
「無修正画像が簡単に手に入る」と喜ぶ人もいますが、あんなもん、大した事ないです。外国のお姉ちゃんが大股開いて微笑む姿見て興奮する訳がない。そう言えば昔、ちょうどインターネットを始めた頃、友人と2人でHサイト見てたら、立派な(ピー)をお持ちの男性が、満面の笑みでこちらを見ている画像を見てしまいました。しかも見事な立ちっぷり(笑)。へそが隠れて、下手すれば胸元?という位置までありました。さすがに笑う気にもなりません。。。。

最近は、それ以外に趣向を凝らしたH系サイトも多いようです。
僕が見つけた中で面白かったのは、「私の告白」というホームページです。これ以外にも同系統のホームページはいくつかあるようです。ここは、女の子がHに関する事を告白して、それを見たオーナーがその女の子にHな課題を与えていくというものです。
果たして、本物の女の子が告白をして、課題をきちんとやっているのか疑問はたくさんありますが、いずれにしてもその文章はそそるものがあります。
課題については直接文書を見る事はできませんが、告白の内容からだいたい推測出来ます。例えば「ノーパンで図書館に行って、勉強している学生を挑発して来なさい」とか、そういったものです。そういう課題を本当に律義に行って、報告してくるのかはいささか疑問ですが、読み物としてはそこらのエロ小説よりも面白いかもしれません。

それと、Hをメインの目的に据えたチャットも増えているようです。
私がNetMeetingで知り合った方(女性)から教えてもらったところは、Hの告白ページなどもあり、内容はなかなか充実しています。
チャットの方はWeb上ですので反応が悪いため、私はしません。それに表現が皆さん「稚拙」なので、見ててもつまらないですね。まあ、ここに招待(?)されたきっかけは「月に1回くらいの割合で、かなり読ませてくれるチャットHがあるから来てみ!」という事だったんですが。

ちなみに今回紹介した2つは無料です(アドレスは探して下さいね)。どちらかと言えば「読ませるH」が好き(笑)な私としては、こういうホームページが増えてくれる方がいいですね。って、何がいいんだかよく分かりませんが・・・・


1998.3.5 死ぬということ

ちょっと、いろいろとあり、死ぬ事について考えている。

人が死ぬという事、その人がこの世で必要なくなった時、又はどこが別の世で必要とされた時、人は死ぬと僕は考えている。それは自殺する人もそうであろう。そして、重要なのは死んだ人は何も言えないという事。当たり前だが重要である。

人が死んだら、どこに行くのだろう。子供の頃からそういう事を考えていた。今、見てるこの世界は見れなくなるのかな?そうなら、どういう世界を見るのだろう。こういう時間軸は死んだら意味をなさないのかな?それならどういう時間軸が存在するのだろう。今持っている「意識」は死んだらどうなるのかな?・・・疑問は尽きない。

が、これらの疑問を解決する方法はただ一つ、「死ぬ」しかない。死んでみないと分からない。多分、僕らが考えているものとは全く違う世界が存在するのであろう。もしかすると、死んだ後の世界の方が、僕らにとっての「本当の世界」なのかも知れない。「今」はその世界で「生きて」行くための修行の場なのかもしれない。

いつか人は必ず死ぬ。そして、いつまでも人間は未完成である。死ぬまで未完成である。この世で「完成」されて死んでいく人間はいない。きっと、「あの世」で完成されるのだろう。

そして、自殺していく人間は、この世で学ぶものが無くなったから、この世に魅力を感じなくなったから、死んでいくのだろう。そして、その人にこの世で生きていく魅力を教える事ができなかった僕は、その人の分まで精一杯、この世で生きていくための魅力を探さなければならない。

もう少しあなたの妹さんと早く知り合っていたら、そしてあなたが長崎にいる事をもっと早く知っていたら、僕はあなたと仲良くなれたかもしれません。
決断の時をあと1ヶ月、遅らせて欲しかった。そうしたら、2月21日、僕はあなたとお会いできたはずです。それだけが残念でなりません。
たくさんの人に愛されていたあなたが、なぜそういう行動を取ったのか、僕には全く分かりません。しかし、あなたがこの世に残したものは、あなたが考えているよりもずっとずっと、たくさんあるようです。

あなたがこれからやるべき事は一つです。あなたを愛して止まない妹さんを助けてあげて下さい。あなたを誇りに思っている妹さんをしっかりと見守っていて下さい。そして、もう一度だけ、妹さんに語りかけて下さい。


1998.2.28 ファン
今日、メールを取ったら、このホームページにリンクを張りたいというメールが来ていた。
ところが、そのメールの内容は、「既にリンクを張っています」という事後報告だった。それでも少し頭に来たが、更にはBoom.SPにダイレクトにリンクが張ってあるようだった。礼儀知らずにも程がある(本人も「不躾なメール」と認めているところがますます何だかな〜であるが)が、既にリンク張ってあるものを「消してくれ」というのも何だか悪い気がして、そのままリンク張ってていい旨、メールを出した。

その時はホームページを確認しないでメールを出したのだが、ちょっと見てみる事にした。内容が良かったら、相互リンクさせてもらおうと思ったからだ。
が、そういうとんでもない事をする人のホームページがいいわけがなく、困った事にそのアーチストが出演したラジオ番組や、何かで放送されたのであろうライブ音源、さらにはインディーズであるが、実際に販売されているCD、これらをReal Audioに落としたデータをホームページに置いてあった。正確にはリンクしてある先に置いてあったのだが、リンクを張るということは、そのホームページの存在を認めているわけだから、実際はあまり変わらない。

そういうホームページにリンク張られるのは、いい気持ちがしないので、即刻リンク中止する旨、再度メールした。

私が我慢できなかったのは、ファンを名乗りながら、アーチストの権利を侵害する事を行っていた点である。ファンだから何をしてもいいというわけではない。ファンであるなら、アーチストの権利を守るというのは当たり前ではないか。楽曲をデジタルデータに落として、ホームページに置くようなまねをして「ファンです」なんて、チャンチャラおかしい。僕なら自分が嫌いなアーチストの楽曲をデジタルデータにしてホームページに置きますね(冗談ですが・・・)。
これを機にリンクに関して、きちんと書いています。宜しくお願いします。

1998.2.8 ボランティア

ここ何年か、日本は「ボランティアブーム」である。ボランティアは僕が考えるところ、ただの自己満足である。募金もそうである。これが自己満足に留まっているだけならまだいい。最近は「偽善」的ボランティアも増えてきたように思う。

ある人が言っていた。「ボランティアの世界に足を突っ込んで、がっかりした」と。そこにあるものは「とても閉鎖的な馴れ合いの世界」だった、と。そして「形式に捕らわれたふれあいを要求する世界」だった(この表現は某書にも書いてあったものを引用しています(この本についてはきちんと読んだ上で紹介します))。

そして、そのような世界を産んでしまったのは我々の「やさしい」視線である。
正確には「偽善的な優しさに満ちた」視線。障害者(正確には「障碍」であるらしい)と我々は同じ人間であるという本当に当たり前の事を口に出して思考停止に陥る人がほとんどであろう現代。それを口に出す事が既に「障害者と我々を同じ人間だと思っていない」事に気づいていないのが悲しい。

まるで筒井氏が断筆宣言した時と全く状況が変わっていない。
「てんかん」という事を馬鹿にしたような文章(確かこのような意図だったと)が掲載されたというほとんど因縁に近い抗議を受けて氏が断筆した、この事件も実際に「てんかん」という病気を持った人にこのくだりを読んでもらうと「何も思わない」と言うらしい。
これもつまりは「てんかん=かわいそう」という健常者と呼ばれる人々の訳分かんない自己満足のために沸き起こった議論であると私は捕らえている。

体罰問題についても然り。これも「子どもを殴るのは可哀相」という大人の「屈折した優しさからの思考停止」が引き起こした問題である。
先生は体罰をどんどんやるべきだと思う。但し、限度をわきまえて。この「限度を超える」というのも、時々叩いていれば爆発する事もないだろう(これも極論かな?)。僕たちの頃は結構当たり前だった。頬を叩かれるとかもちろん、竹の棒で頭を叩かれた事もある(さすがにこの「竹の棒」はどうかと今だに思う)。が、それで先生に対して何らかの殺意を覚えた事は・・・例外を除いて、ほぼない(竹の棒が例外である。あれは駄目だって・・・)。
それは僕の担任の先生たちはかなりの魅力を持った先生たちばかりだったからである。自分たちが子どもの頃を考えて欲しい。果たして先生に叩かれる事をそれ程問題にしていたか?もし「していた」という人はよっぽどの優等生だったんでしょう。もしくは「先生」にそれ程魅力がなかったか

生徒の持ち物検査をするという話に対して、生徒が「プライバシーの侵害」とか言い出すようなら、その生徒は親がしつけ直した方がいい。

子どもにプライバシーなんてないんだよ。せめて18過ぎてからそういう口は聞きなさい。社会的責任も取れない餓鬼にプライバシーなんて要らない。ましてや「人権」なんて事を言うんじゃない。てめえの行動に責任を取らないといけない年齢なって初めて「人権」を与えられるんだ。人を殺したら自分も死なないといけない立場になってから言いな。
(訂正 1998.4.19)
子どもにプライバシーなんて言う資格はないんだよ。せめて18過ぎてからそういう口は聞きなさい。社会的責任も取れない餓鬼が「プライバシー、プライバシー」なんて騒ぐんじゃない。ましてや「人権」なんて事を言うんじゃない。てめえの行動に責任を取らないといけない年齢なって初めて「人権」を口にする権利を与えられるんだ。人を殺したら自分も死なないといけない立場になってから言いな。
(ここまで訂正)

子供がそういう口を聞くようになった背景には、再三再四言うが「マスコミ」の影響が大きい。「偽善の塊」マスコミ、「思考停止集団」マスコミ。今の日本の子供はマスコミが駄目にしたと言っても間違いじゃない。もちろん親の影響もあるが、その親がマスコミに影響受けてんだからどうにもなりゃしない。

話は大きくずれましたが、これからボランティアをやろうと考えている人、本気でやって下さいね。本気で身障者の話を聞いてみましょう。すると、貴方が考えていた「ボランティア」というものがどれだけ「偽善に満ち溢れたものか」が分かるでしょう。そして、恐らく「現代のボランティア」というものの存在自体に疑問を抱く事になるかも知れません。


1998.2.4 教育者と体罰

タイトルの付け方、迷ってますが、一応、中学生のナイフ事件関連という事で。
今回の事件を機にいろんな「委員会」が出来たり、いろんな人がいろんなメディアでコメントしています。全部言う事はありきたりの事。だってそれしか言えないんだもん。

「政策」とか「対策」でどうなるものでもないし、そんなのは大人が「安心」したいだけの事。「これだけの事をやりました〜。パチパチ」、ただそれだけ。
法律で、未成年に対するナイフの販売を禁止するとか言ってますけど、そんなの全然解決になりません。逆でしょう。全員、大人も子どももみんなナイフを持って、やられそうになったら、やりましょう。これなら誰も「刺そう」なんて考えません。
ちょっと極論になりましたが・・・

もう解決方法って何にもないんですよ。大人がアホだから。大人が自分の娘くらいの女の子をお金で買ってるような国で、まともな子供が育つわけがないでしょう。
大人になったって何も楽しい事が無い国で、一体子供は何を価値基準にして生きていけばいいんでしょう。

子供は子供なりの価値基準を、今「力」に求めています。最も手っ取り早い「暴力」という力に。そして女子高生は「経済力」という力に(この辺が女性の頭のいいところなんですよね)。大人は何らかの価値基準を子供に提示してあげるべきです。大人になる事の価値を。それが本来の教育ですから。

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